couronne

『ワン!』
 静かだった室内に、突然低い鳴き声が響く。驚き、ロックは身を沈めていた長椅子から上体を起こした。
 眠り込んでいたつもりではなかったが、体も瞼もひどく重い。彼は眠気を誤魔化すように、ごしごしと目を擦りながら、ひとつあくびを洩らした。
 普段は騒々しいファルコンの船室だが、今日は珍しく人気が無い。ジドール近辺に停泊している飛空挺から、ほとんどの仲間は二手に分かれて出払っている。一方はジドール市街へ物資の買い出しに向かい、もう一方はゾゾに仲間の手がかりを探しに行った。今ファルコンに残っているのは、留守番を命じられたロックの他、たったの二人。
 彼らが今どこにいるのか、ロックのいる位置からは確認出来なかった。その姿を求めてロックは立ちあがり、階段に足を掛ける。その時、もう一度同じ声が聞こえて来た。
 彼が上部の船室に上がると、そこには人影がふたつ見えた。床に座って書物を広げる老人と、彼から離れた壁に寄りかかって立つ、黒尽くめの男。その男から更に少し離れた場所に、一匹の犬がいる。ほんの数日前にこのファルコンにやってきた黒い細身の犬は、言うまでもなく先ほどからの鳴き声の主だった。
「どうしたんだ?」
 よく吠える犬ではあったが、理由なく吠える事もない犬だと知っている。ロックは繰り返し聞こえてきた鳴き声の理由を、まず飼い主であるシャドウに問いかけた。だが、彼からの返事はない。声が聞こえていないわけではないだろうに、シャドウはロックの方を見る事もせず、押し黙っている。
 しかし考えてみれば、この男からの反応がないのはさして珍しい事でもないように思えた。やれやれと息を吐いて、ロックは犬の方に目を映す。
 部屋の隅で尻尾を振っている彼の傍らにかがみ込み、今度はそちらに声をかけた。
「おい、インターセプター?」
 名前を呼ぶと、犬は振り返って顔を上げ、小さく一声鳴いた。賢い犬だ。彼はロックの顔をしばらく見つめた後、ふいと顔をそらして、床に顔を寄せる。覗き込むと、インターセプターの鼻先には、緑色の輪状の何かがいくつか積み上げられているのが見えた。
「……なんだそれ?」
 ロックはインターセプターの脇から手を伸ばし、山からひとつ取り上げて、検分する。葉の茂った細い枝や草、蔓を縒り集めた、花輪のようなものらしかった。いや、花ではないから、草輪とでも呼ぶべきだろうか。……それとも枝輪か。あるいは草冠か。
 そんな他愛のない事を考えながら、ロックはその草輪だか枝輪だかをまじまじと眺める。
「なんでこんなものが…」
「それ、昨日リルムたちが作っとったんじゃ」
 一人呟いたロックの言葉に、思いがけず横合いから答えが返ってきた。驚いて振り返ると、書物に没頭していたはずのストラゴスが、いつのまにかすぐ近くに立っていた。
「リルムが?」
 ロックが聞き返すと、ストラゴスは頷いて答える。
「わしもよくは知らんが」
 どうやら発端はティナが花冠の作り方を聞いた事だとか。だが生憎、今この世界には花がない。それでリルムは花の代わりに草木を使って、教えがてらその輪を作ったようだ、とストラゴスは語る。そうしている内に作ること自体が楽しくなって、大量の草の冠を生み出すに至ったようだったと。
「ふーん…」
 何故ティナが花輪なぞ欲しがったのか、その理由をあれこれと想像しながら、ロックは輪っかを両手で弄ぶ。かなりしっかりと編まれていて、多少の力を加えても簡単に解けたりはしないだろう。その割に、見栄えは悪くない。青々とした葉が円周上に均等に並んでいて、落ち着いた美しさがある。
「やっぱり器用だな、リルムは」
 ロックも花冠の作り方は知っている。幼い頃に祖母から教わった。ただ編むだけならロックにも、誰にでも出来る。だが、花を輪にバランスよく配置し、それでいて綺麗な正円を形作るのは、意外と難しいのだ。リルムの手先の器用さに、ロックは素直に感心した。
「作り方はあんたが教えてやったのか?」
「いや」
「違うのか。じゃあ、誰に?」
 首を傾げるロックに、答えは返ってこなかった。ストラゴスはどこか含みのある表情を浮かべて、肩をすくめる。
「ま、なんにしてもじゃ」
 ストラゴスの骨張った手が、インターセプターの頭に伸ばされる。つややかな毛並みを撫でてやりながら、彼は背後のシャドウを振り返った。
「たくさん作ったようじゃからの。ひとつ持っていったらどうじゃ?」
「……?」
 鉢金と覆面の合間に覗く瞳が、僅かにだが訝しげに細められたのが見えた。ストラゴスは恍けるように声を出して笑い、インターセプターを示す。
「ほれ。この犬は気に入っとるようじゃゾイ」
 彼の言う通り、先ほどからインターセプターは不思議とその冠に興味を示しているようだった。鼻先を押し付け匂いを嗅ぎ、ぺろりと舐める。黒いしっぽが、嬉しそうにゆらゆらと揺れていた。
 そういえばこの犬はリルムになついているが、彼女の手で作られたものだとわかるのだろうか。もしかしたらリルムの香りでもするのかもしれない。その考えを肯定するかように、犬がくうんと鳴く。
「……」
 シャドウはそんな愛犬を眺め、否と言わなかった。かといって是と言う訳でもなく、ストラゴスの提言に何かしらの返事をする気配もない。インターセプターが冠を弄ぶ姿を咎める事もせず、じっと眺めていた。ストラゴスはしばしシャドウの様子を伺った後、インターセプターの首に件の輪をかけてやった。
 シャドウはやはり何も言わない。不意に訪れた沈黙に、ロックは特に深い考えもなく、三者を見守った。


「ああ、そういえば」
 わずかな間を置いて、沈黙を破ったのはストラゴスだった。ふと思い立ったように立ち上がると、ロックに向き直る。
「今、船はジドールの辺りにおるんだったかの」
「? ああ」
「知っとるか? 昔はのう、この辺りのものがサマサの浜に流れ着く事があったんじゃよ」
 突然何を言い出すのかと首を傾げたロックに、老人はそらっとぼけるような表情で、曖昧な笑顔を浮かべる。
「誰かが落としたのか、それとも捨てられたのか……どう見ても貴族が身に付けとるような豪奢なアクセサリーやら、高級そうな食器の破片やらな。この辺りで戦があった頃には、武器やら何やらの残骸、時には人も流されてくる事があったと聞いとる」
「…へえ」
 初めて聞く話に、ロックは思わず感嘆の声を洩らした。それを受けて、ストラゴスは満足そうに続ける。
「潮の流れとは面白いもんじゃゾイ。あれだけ離れとるのに、海は繋がっとるんじゃのう」
 流布している一般的な世界地図で見ると、ジドールは西、サマサは東のそれぞれ端に位置していた。地図上ではそう遠くないように思えるが、彼の言う通り、ここジドールからサマサまでは、実際の所かなりの距離がある。
 確かに面白いな、とロックは呟いた。彼は生来、こういった話には興味を引かれる方だ。遠い海の向こうから漂流した宝物。想像するだけで心が踊り、知らず知らず彼の瞳は輝いた。
「じゃ、今ここで何か落としたとして、サマサの辺りに流れ着くのかね?」
「どうじゃろうな」
 身を乗り出すような勢いのロックに、ストラゴスは苦笑を見せる。
「近頃はここらの海も随分変わってしまったろうからな。わからん」
「……ああ。そうか。そうだな」
 一年前の世界崩壊。人々の生活も、その基盤となる大地も、あの日に大きく変わってしまった。以来、正確な測量をするほど余裕のある人間などいないから、まだ今の世界を記す図面にお目にかかった事は無い。
 だが、ロックが自分の足で歩き巡った限り、そして飛空挺で空から眺める限り、ジドールにしろサマサにしろ、以前とは随分地形が変わっていた。周辺の大陸の様相も、はっきりと見て取れるほどに激しく変動している。目に映る地表の部分ですらそうなのだから、海底がどうなっているのか、どれほど劇的な変化をしているのか、想像する事も出来ない。
 だが、とロックは食い下がった。
「それでも、海は繋がってるんだから」
「そうじゃのう。もしかしたら、今でも向こうに届くかもしれんゾイ」
 ストラゴスは、まるで遠いサマサを望んでいるかのように、目を細めてみせた。
「試しになにか流してみるか?」
「……大事な物は止めといた方が賢明じゃゾイ。戻ってこない可能性の方が高い」
「はは、そうだな」
 ロックの軽快な笑い声が、しんと静かなファルコンでやけに響く。その声に合わせて、ストラゴスも僅かに肩を揺らした。
 ふと、その時、それまで微動だにもしていなかった黒い影が、ロックの視界の端で動いた。
「……ん?」
 驚いて振り返ると、シャドウが壁から背を離した所だった。彼は飼い犬の首にかけられていた枝葉の冠を取ると、それを片手に歩き出す。後ろをインターセプターが追って行った。
「なんだ、あいつ?」
 一年前のあの日、あまりに多くのものが変わってしまった。だがそれより前も今も、相変わらずシャドウが何を考えているのかはわからない。ぽりぽりと後頭部をかくロックに、ストラゴスが呵々と笑う。
「話しかけてもろくに返事をしない奴に限って、人の話はちゃんと聞いとるもんじゃよ」
「……?」
「気にするな」
 ロックの胸をぽんと拳で叩いて、ストラゴスはふらりと歩き出す。
「おい、じーさんまでどこ行くんだ」
「じいさん呼ばわりはよさんか!」
 不満げなストラゴス。彼はロックの質問には答えないまま、シャドウとインターセプターを追う形で扉に向かった。後にはロックひとりが残される。
 突然二人に置いて行かれ、彼はしばし憮然とした表情で立ち尽くしていた。だが、ひとつ息を吐いてから、仕方ないとばかりに苦笑を浮かべる。
「……ま、いいか」
 何を考えているかわからないのは、いつもの事だ。それはシャドウにせよ、あのじいさんにせよ大差はない。考えても仕方がない、と結論づけた。
 足下に転がる輪をひとつ手に取って、彼は最初の長椅子に戻る。楽な姿勢で寝そべって、特に意味もなく冠を頭に乗せた。そしてゆっくり目を閉じる。
 あんな話をした後だから、海の夢でも見られるかもしれない。このジドールの海岸から波に乗って、遠い遠いサマサに、あるいは故郷に旅する夢なんか、楽しそうじゃないか。……そんな期待を抱く彼の意識が朧げになるまで、長い時間はかからなかった。


 彼は飛空挺の外に出ると、辺りをきょろきょろと見渡した。地面から黒く伸びた影を見つけ、歩み寄って行く。男は海岸に跪いて、水面を覗き込んでいた。
 ストラゴスが傍らに立つと、シャドウは珍しく、自分から口を開いた。
「……届くと思うか?」
 シャドウの視線を追うと、海面に浮かべられた緑色の物体を確認する事が出来た。ゆらゆらと揺れる、リルムの作った草の輪。花の代わりにと編まれた濃緑色の枝葉の冠が、赤黒くくすんだ海の白い波の合間に、陽を弾いて光っている。
「さあのう。意味があるなら、あるいは」
 意味。あるいは願いだ、と老人は思う。
 ……花輪は時に祭りの街角を彩り、時に村娘達の陽に灼けた髪を飾る。心を込めた贈り物に添えられる事もあれば、時に死者への手向けと願いを乗せる。
 この男の行動にその価値があるならば、あの何の変哲も無い、ただ縒り合わせられただけの枝たちは、サマサの海に辿り着くのではないだろうか。なんとなくそんな事を考えながら、遠ざかっていく緑を眺める。
「……不思議だと思わんかの?」
 ふと老人は顔を上げ、つぶやいた。
「ろくに顔も覚えておらんのに、習った事はしっかり覚えとるらしい。些細な事じゃがな」
 言いながら、花輪を紡ぐ白い指を思い出す。ストラゴスは、それが誰の、何の事なのか、余計な事は一切言わなかった。それでもシャドウはすべて了解しているかのように目を伏せ、息を吐く。
 彼は何かを懐かしんでいるような表情で、海を見ていた。波間に流れて行く、枝葉の冠。老人は憶う。そして祈るように、心の中で囁いた。その意味……
「礼を言っておいてくれ」
 シャドウの微かな声はあまりに突然で、波の音に混じり、ストラゴスは危うく聞き逃しそうになった。
 何の礼だ、礼ならば自分で言ったらどうだ。そう返そうとしたが、彼ははたと思いとどまる。そして人の悪い笑みをシャドウに向けた。
「いま、なんと言ったんじゃな?」
「……」
「聞こえんかった。わしゃなーんも知らんゾイ」
 黙する男をからかうようにおどけてみせる。嘆息するシャドウに、彼は呆れたように呟いた。
「難儀な奴じゃ」
 海を見据えるシャドウの顔は、黒く厚い口布に隠され、はっきりと伺う事が出来ない。しかし、少しばかり憮然とした顔つきに見えるのは、恐らく気のせいではないのだろう。ストラゴスは笑いを堪える事が出来ず、噴き出した。
「さて、そろそろリルムも帰ってくるかの?」
 笑いまじりに問いかけたが、無視された。インターセプターを連れ、いつも通り押し黙って飛空挺に戻っていく後ろ姿に、ストラゴスはまた少し、笑った。
 本当に、難儀な事だ、と。



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2010.4.14.up.(written:2006春?)
FF6の12周年記念アンソロジー様に掲載して頂いたもの。