指切り
「ねえ、約束をしておこう?」
「約束?」
「そう」
「なにを?」
「――何があっても、絶対隠し事はしない、って」
「えー。なーにそれ?」
「いいじゃない。ね、理沙。約束して?」
「うん、わかった。おねえちゃん」
そうして絡めた、小さな指。それはまだ、小さな頃の記憶――
「なんだか、こんな風に話すのって久しぶり」
ベットに腰掛けて用意したお茶をすすりながら、理沙は傍らの女性に話しかける。
「そうね。ちょっと照れる」
そう答えて微笑みを向けたのは、彼女の姉、美奈だった。
甘えるように、隣に座る彼女に寄りかかり、理沙は何気なく思う。
――久々に実家に帰り、最近になって一通り生活も落ち着いた。今後の身の振り方は決まっていないが、そのうちなんとかなるだろう。
そう思い始めた頃、ようやく気持ちが前向きに動き出したとき、美奈が理沙に言った。
「理沙、話したい事があるんだけど」
話。それがなんなのかは判らなかったが、理沙はそれを二つ返事で受けた。
昔はよく、そうやって話をした。理沙は懐かしく思い出す。
お茶とお菓子を用意して、夜遅く、両親が寝静まった後も色々な事を言いあった。時々は険悪な雰囲気にもなった事もあったし、夜中なのに大声で笑いあった事もある。夜更かしをしすぎて、ふたりで寝坊して遅刻した事もあった。
理沙が東京に出る前、もう随分昔の事だ。本当に懐かしい。
思わず頬が緩んだ。今もこうして隣に姉が居る事、またこうして同じ時間を過ごせる事が嬉しくてならなかった。
――だが。
今しがた美奈から告げられた『話』の事を思い、理沙は溜め息を吐く。
「そっかぁ、おねえちゃんに彼氏ねぇ……。」
彼女の話とはなんのことはない、少し前から親しく付き合っている男性が居る、という打ち明けだった。
理沙達はもう21だ。年頃もいい所な訳だから、そういう人がいるのはちっともおかしな事ではない。むしろ当然の事だ。
だが、改めてそれを告げられると、奇妙な感覚が理沙を襲った。己の半身のように感じている美奈の事だからこそ、その報告は理沙にほんの少しだけ、衝撃を与える。
「おかしい?」
そんな彼女に、美奈が不安そうに問いかけた。理沙は目を細めて笑いながら、思うままを正直に答える。
「おかしくはないけど。なんだか不思議な感じ」
嘘ではなかった。違和感は感じたが、美奈が幸福になれるのならば、それが嬉しくないはずはない。
そんな理沙の言葉に、美奈は安心したようにマグカップを口に寄せ、一口啜る。口の中で味わうようにゆっくりと嚥下してから、思い出したように理沙を振り返る。
彼女はいたずらっぽい表情で、付け加えた。
「まだ皆には内緒よ。でも、理沙は特別」
「どうして?」
美奈の言い方に、理沙は首を傾げた。美奈は理沙に顔を寄せる。頭が軽くぶつかった。
「だって、約束したじゃない?」
「約束?」
理沙は意味が分からず、美奈に向き直る。美奈は呆れたように眉を寄せる。
「やだ、理沙覚えてないの?」
美奈によれば、まだ二人が5.6歳の頃に、指切りをした事があるのだという。
どうしてそういう話になったのかは、美奈も思い出す事はできない。それでも、あの時の事は何故だかはっきりと覚えている。美奈は理沙に右手を差し出して、こう言った。
「ねえ、やくそくをしておこう?」
「やくそく?」
理沙が小首をかしげ、問い返す。美奈は頷いた。
「そう」
「なに?」
美奈は理沙の顔を伺うように見つめる。
「――なにがあっても、絶対かくしごとはしない、って」
同じときに、同じように生まれて来た自分たちだ。これからもずっと一緒に居るのだから、何でも話をしたい。確か、そう思ってそんな話を切り出したのだと、美奈はなんとなく思い出した。そんな美奈に対して、理沙は不満そうに声を上げる。
「えー。なーにそれ?」
「いいじゃない。ね、りさ。やくそくして?」
美奈の言葉に、理沙は暫く考え込んだ。たぶん、深い意味はなかったんだろう。まだ幼い頃の事だから、それほど色々考えている訳でもないはずだ。
それを証すように、理沙は突然笑顔を浮かべると、美奈に応えた。
「うん、わかった。おねえちゃん」
そうして理沙も右手を差し出す。美奈も満足そうに笑った。そうして、互いの小さな指を絡める。
くすくす笑いながら、一緒に指切りげんまんを歌った。
まだ、二人が本当に幼かった頃の事だ。
「あぁ……」
理沙は思わず唸った。そういえば、そんな事もあった気がする。記憶の奥深く、美奈のやわらかい指の感触と、二人の調子はずれの歌を覚えていた。
「理沙ったら。せっかく約束したのにひどい」
美奈がわざとらしく不満の声を上げる。理沙は顔の前で手を合わせた。
「ごめん」
それがおかしくて、またふたりで笑う。穏やかな声が部屋に満ちた。
「でも、宮田先生、かぁ……どんな人?」
ふと気になって。理沙は美奈に訊いてみた。
「どんなって……」
美奈は口元に手を当て、しばし考え込む。やがてその彼女の口から出た言葉は、理沙の予想の斜め上を行くものばかりだった。
かっこいいだの頭がいいだの、とろけるような笑みの彼女からは惚気ばかりが溢れる。理沙は思わず苦笑した。
「いい人なんだね」
どう返したらいいのか見当がつかずに、適当にそんな感想を口にした。美奈が何度も頷く。
「もちろん。今度、理沙にも紹介するね」
幸せそうな美奈。理沙はそんな美奈の頭をぐしゃぐしゃ撫でながら、声を上げた。
「いいなぁ。私もそんな人に出会いたい!」
殆ど冗談だったが、ほんの少しだけ、正直な気持ちも混ざっている。今の理沙には異性にそれほど興味がなかったが、美奈の顔を見ていると羨ましさがこみ上げる。
「理沙にも、そのうち見つかるよ」
そう言って、美奈が笑った。理沙も微笑みを返す。
――そうなればいい。自分も、美奈にめいっぱいノロケを聞かせる日がくる、そうなればいいと、本当に思う。
「その時は絶対、教えてね」
そう言って、美奈が右手を差し出した。理沙の記憶の中の、幼い頃の姉の姿と重なる。
理沙は軽く肩をすくめて、同じように右手を差し出す。
絡む指。こんな年にもなって気恥ずかしかったが、なんとなく美奈とならそれも良いように思えた。
「うん。約束ね、おねえちゃん」
理沙は小指に力を入れて、呟いた。
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2005.05.17.up