常勝将軍

「本気でそう思っているのか?」
 厳しい瞳。投げかけられる、険を含んだ言葉。
 目の前に立つ男を、セリスは冷ややかに見据えた。
「それが、どうした」
 応えながら、彼女はどこか自嘲的な笑みを浮かべる。
 男は深く息を吐いた。そこにははっきりと落胆を感じ取る事が出来る。
「……どうもこうもない。」
 その男――レオはそう呟きながら、部屋の片隅の小窓に近づく。窓に片腕をついて、睨みつけるように外の様子を凝視した。
 男の鋭い瞳に映る、ガラス一枚隔てた外界。
 紅く灼き尽くされた町並みに、思わずその目を細めた。
「お前は、なにも思わないのか」
 レオは振り向き、セリスに外を示す。
「これを見て。……本当に、なにも」
 険しく歪められたその顔、沈痛な声色に、セリスは更に笑みを深めた。
 レオに近づき、彼の傍らで同じように外を見やる。
 映るのは、彼の見たものと変わらぬ風景。しかし、心にこみ上げる想いは、恐らくは全く異なる。
「なに、と言われても。――私に何を求めているというのだ」
 軽く肩をすくめて、セリスは呟く。そのまま踵を返して、彼から離れた。
 さらさらと、金の髪が揺れる。
 それを見つめながら、レオがもう一度溜め息を吐いた。
「お前も、同じか」
「……そうかもな」
 吐き捨てるような口調。セリスは不快そうに眉を寄せた。
「私はもう戻る。お前は?」
 レオの返答はない。
 セリスはそれを気に止めた風もなく、ただひとつの溜め息を残してその場を離れた。


 帝国首都ベクタ。
 帰投したセリスを迎えたのは、数多の賛辞と慰労の言葉だった。
 今回の遠征で最も功績を上げたひとりである彼女には、当然とも言える出迎えである。
 だが、正直この手の待遇は彼女の好む所ではない。皇帝からの労いさえも、今はどうでもよかった。
 半ばうんざりしながらそれらを受け流し、ようやく開放された彼女は真っ直ぐに自室へと向かった。
「将軍」
 そこでも、ひとりの兵士がセリスを出迎えた。
 面には出さなかったが、彼女は心中でそっと舌打ちをする。
「自分も、将軍の活躍は聞き及んでおります。お疲れさまです」
「……ああ」
 熱っぽく話しかける兵に、セリスは素っ気なく応えた。まだ何事か語りかけようとする男を、片手を振って下がらせる。
 ようやく一人になり、セリスは安堵の息を吐いた。
 自由に使えと、暫く前にあてがわれた一室。決して広くはないその部屋の隅のベットに、彼女は倒れ込むように腰掛ける。
(――疲れた)
 こうしてゆっくり息を吐くのは久しぶりだった。眉間に手を当て、凝り固まった顔の筋肉を解す。
 ふと、頭を巡らせた。
 ――いったいどれほどの間、戦い続けていただろう。
 ここ暫く、まともな休息も取らぬままに剣をふるった。
 戦に次ぐ戦。ありとあらゆる戦場に出向いた。
 そうして気付けば、ついた二つ名は『常勝将軍』。
 セリスは別段、それを不快に思った事も、栄誉と思った事もなかった。
 自分はただ、命じられるまま戦場に赴き、戦っていただけだ。
 戦って、戦って、戦い続けてもまだ死んでいない。だから、そんな風に呼ばれただけだと、そう思っている。
 だが、周囲にとっては、多分、そうではないんだろう。
 セリスは目を閉じた。先刻のレオの瞳が思い出される。
『本気でそう思っているのか――』
 彼の言葉が脳裏に蘇った。
『お前も、同じか』
 まるで蔑むようなその眼差し。セリスは目を開けた。
「同じ、ね……」
 自嘲するように呟く。そのまま、ゆっくりと立ち上がった。
 磨かれた窓から、外を見やる。遠い空が赤かった。
 今はまだ、日が落ちるような時間ではない。そもそも、彼女が向いているのは東向きに取り付けられた窓だ。
 夕日ではない。その赤は、炎の赤だ。あるいは、血の。
『これを見て。……本当に、なにも』
 非難の色を隠さず浴びせられた男の言葉を思い、セリスが顔を歪めて笑った。
「……それも、悪くない」

 弱者を虐げ、殺し、奪い、全てを灼いて。
 それでいいと、お前は本当に思っているのか――?

 それが、セリスに投げかけられたレオの言だった。
 構わない、とセリスが答えた。それが自分に望まれている事ならば、構わないと。
「私の意思など、関係はない……」
 まるで己に言い聞かせでもするかのように、あるいはレオに聞かせるように、彼女は声に出して呟く。
 それが自分に望まれていることならば、構わない。
 誰が、何人、どれだけ死のうが。
 誰が、どれほど、何を奪われようが。
 誰の、どれだけの家や村が灼かれようが。
 今のセリスには何の関係のない事だ。
 そう思っている。いや、思う事にしている。
 緋に染まる空。悲鳴も叫びも聞き飽きた。髪に、身体に、血が付く事ももう慣れた。
 かつてはあんなに嫌悪していたその匂いにさえも、もはやなんの感慨も抱かなくなった自分を、セリスは自覚している。
 それならば、それでいい。
 セリスが溜め息を吐いた。深い深い息。
 胸中にわだかまるものを吐き出そうとしたが、しかしそれは叶わなかった。
『お前も、同じか――』
 気にしていなかったはずのレオの言葉が、胸に刺さる。
 いったい何人殺しただろう? そう考えて、セリスは顔を顰めた。
 彼女は己の手のひらを見る。
 剣を扱う事に慣れ、男のように節が立った指。そこからは、血と灼けた肉の匂いがした。
 今まで殺した人の分だけ、その匂いは凝る。……いったい、何人?
『お前も、同――』
 セリスはその手で、手近な壁を思い切り打ち付けた。
「それが、どうした……!」
 叩き付けた手がじんじんと痛む。だが、それ以外にも、どこかが痛んだ。
 と、そのとき突然に部屋の扉が叩かれる。
「セリス将軍」
 掛けられたのは、先ほどの兵の声。
「……どうした?」
 出来うる限りの平静を装って、セリスは扉を開ける。
 硬い表情でセリスを見下ろす兵は、事務的な口調で告げた。
「皇帝がお呼びです。どうやら……マランダ戦線への出征の要請のようですが」
 それを聞いて、セリスが静かに頷く。
「ああ……」
 セリスは小さくかぶりを振った。
 新しい戦。……また、この手の匂いはとれないだろう。それどころか、更にひどくなっていくのは目に見えていた。
 だが、――それならば、それでいい。
 セリスの顔から表情が消えた。先刻まで苦しげに歪んでいたのが嘘のように、そこには何の色もない。
 それは、さきほどレオが目にしたセリス将軍――いや、『常勝』将軍の顔。
「今、行こう」
 それが自分に望まれている事ならば、構わない。
 セリスは兵を追い、その小さな部屋を後にした。


  


2005.05.07.up