忠誠

 南の大陸中心部に広がる、帝国首都ベクタ。
 久々にそこを訪れた――いや、そこに戻ったレオは、天に届くかと思うほど高くそびえる城を見上げた。
 本当に、高大な城だ。レオは心中でそんな感想を洩らす。
 いや、大きさだけではない。その堅固さ、強靭さも他に比類ないものだった。そして、それは即ち、中に住まう者の力を現す。レオは溜め息を吐いた。
 これは、いくらなんでも強すぎる力だ。必要とされているとしても、これほどの武力を持つ事に、一体何の意味が?
 ずっと己に問いかけ続けている疑いを、レオはもう一度想った。
 ――こんな力を得るから、歪みが生まれるのだ。灼き尽くした街の中に。刈り取った命の先に。奪い続ける兵達の心に。己の忠義に。
 それから――……
「レオ将軍」
 呼びかけられてレオが視線を正面に向ける。そこには一人の男がいた。
「皇帝がお待ちです。どうぞ」
 彼は一度敬礼すると、生真面目な口調で声を上げる。
「ああ、すぐに行こう」
 レオは取り敢えずそう答えて、しかしすぐにはその場を離れなかった。もう一度、頭上を見上げる。ふと、思い出した。
 昨日もこうして、空を見上げていた。先ほどとそっくりそのまま、同じ事を考えながら。


 西方の空を見つめながら、レオはひとり、物思いに耽っていた。
 見つめる夕日の下には、ひとつの国家がある。先だって彼が攻略を命じられた、ドマの城だ。
 暫く前からレオの指揮による攻撃を開始したが、激しい抵抗に遭い、決定的な攻め手を欠いたまま戦闘が続いていた。戦は数年前に始まり、今なお集結の気配は見えない。思わずレオは眉を顰めた。
 出来うる事なら、早期落城を目指したかった。その方が、双方の犠牲は遥かに少ないと容易に想像出来るからだ。ドマの者には、帝国の身勝手な考えだと罵られるかもしれない。だが――仕方がないのだ。
 皇帝が、ドマを望んだ。故に、ドマは落ちるか、あるいは帝国そのものを滅ぼす以外の道はなくなった。
 だが、今は拮抗している力でも、更なる援軍が来ればそうはいくまい。もう少しでも長引けば、皇帝はより多くの戦力をドマ戦線に割こうとするだろう。ドマと帝国の実質的な戦力差は、あまりにも歴然としていた。
 そうなれば、もはやドマは、落城するほかはないのだ。レオに出来る事はと言えば、せめて女子供を逃がし、犠牲を最小にとどめる、それだけしかない。
 レオは陰鬱に嘆息した。こうも戦が長引いている今となっては、それすらも危うくなってしまった。それに加えて、彼の憂鬱の種は他にも存在する。
「レオ将軍」
 と、突然声をかけられて、レオが振り返る。そこにいた男を見るなり、不快そうに顔をしかめた。
「……ケフカか」
 レオは呻く。これこそが、彼の頭を悩ませる原因の一つだった。
 彼は先日、皇帝の命でこちらに派遣されてきた。レオが予想以上に手間取っている事に、しびれを切らしたのだろう。それは、仕方がない事かもしれなかった。
 だが、このケフカの残虐さは、レオも当然知っている。
 帝国の、そしてドマの犠牲も最小限に――そう考えるレオにとって、この男の存在は障害にしかなり得ない。何をやらかすかわかったものではないから、ケフカが来て以来、レオの神経はひどく苛立っていた。
 そんな彼の心を見透かしたように、ケフカはにやりと笑みを浮かべてみせる。そして何気なさを装ったようなわざとらしい口調で、レオに問いかけてきた。
「お前は、聞いたかい?」
「何をだ?」
 レオは眉を上げる。この男が話しかけてくる事など、稀だった。何か魂胆があるのかと訝しげにケフカを見、レオは問い返す。ケフカは軽く肩をすくめてみせた。
「本国では大変な騒ぎだ。……セリス将軍が皇帝に楯突こうとは、誰も思わなかったようだな」
「……その話か」
 レオはうんざりと顔を背けた。もうひとつの憂鬱の種が、この話だった。
 その件についてなら、当然知っている。おそらくは、帝国中の軍人と言う軍人が聞き及んでいるだろう。
「バカな女だ。あんなことをして何になる」
 ケフカが嘲笑を浮かべる。
「あんたもそう思わないか? え?」
 その問いには答えず、レオは静かに瞳を閉じた。冷ややかな表情のセリスを思う。口の端だけを上げて目を細めた少女の、あの顔。
 思わずレオは、小さくかぶりを振った。そうして再び目を開ければ、同じように軽薄な笑みを浮かべるケフカが目に映る。
 彼は深く息を吐いた。
 記憶に残る少女の笑み。あれは、果たして彼女の真意からのものだっただろうか。面に張り付いた、恐ろしく捩じ曲がったあの笑い。その向こう側で、彼女は一体何を思っていたのか?
 レオにはわからなかった。いや、そもそもそんな感情がある事を、疑った事もない。
 戦場で剣を振るい、血を浴びて、全てを焼き滅ぼした女。数々の歪みを、その手で生み続けた将軍。その姿ばかりに目を取られていたが、今思えばそれが彼女の本当の姿であったのかどうか、わからない。
 わからないが――それでも、彼女の選んだ道を見れば、その片鱗だけは理解出来るような気がした。
「……ケフカ。貴様にはわからんだろう」
 レオが短く吐き捨てる。
 ――この非道な男とあの少女は、なにひとつ変わらないと思っていた。だが、実際は違ったのかもしれない。今となっては確かめることは出来なかった。
 あの時己が投げつけた言葉に、一体彼女は何を思っただろうか。それを考えると、レオはいたたまれない気持ちになる。
 もしかしたら、彼女を最も傷つける言葉を吐いてしまったのかもしれない。赤い空を冷ややかに見つめる少女の、あの青い瞳を思い出した。レオはもう一度、固く目をつむる。
 そんなレオに、ケフカは肩をすくめて告げた。
「ああ、わからないねぇ」
 レオは彼に向き直り、切れそうなほどに鋭い瞳で睨みつける。だがケフカはその視線にひるむ事もなく、一層皮肉気な表情を浮かべた
「お前は、判るのか? 裏切り者の気持ちが?」
 その言葉に、レオは凍り付いた。瞬時に応えるべき言葉が思いつかず、息を詰める。その瞬間、ケフカが吹き出した。
「ククッ……ヒャァハハッハァ!」
 堰を切って溢れ出した甲高い笑い声が、辺りに響く。気が狂いでもしたかのようなその奇声に、レオは眉を寄せた。
 ケフカは嗤う。嗤って嗤って、嗤いすぎて疲れた頃に、彼は途切れ途切れ呟いた。 
「フ、ハハ……ならば、お前も、行くか?」
 息がひどく切れているために聞き取りづらかったが、彼の言わんとした事はレオに伝わった。レオが動揺している間に数度深呼吸を繰り返し、ケフカは更に続ける。
「……行きたければ、行けばいいさ。わかるんだろう、あの女の考えた事が?」
 その言葉に、レオははっきりと見て取れるほどに眉を吊り上げた。激昂しそうになる己を制しながら、彼は低く呻く。
「……私は皇帝に忠誠を誓った身だ」
 ケフカはまた嗤った。レオの発言にか、それとも怒りに顔を紅潮させる彼の姿にか。どちらかはわからなかったが、いずれにしてもケフカは可笑しそうに鼻を鳴らした。
「ならば、口は慎んだ方がいいぞ。――あの女は、今はただの反逆者だ」
 レオは俯き、苦く唇を噛み締める。彼の肩に、ケフカの骨張った青白い手が添えられた。
「近日中には処刑される。それまでに、せいぜい同情してやるんだね」
 耳元に口を寄せ、ケフカはそれだけ告げると踵を返す。鮮やかな赤いマントがひらりと翻った。それを憎々しげな心持ちで見送りながら、レオは小さく口を開く。 
「貴様には、判るまいよ……」


 あの後、直ぐに皇帝から本国への帰投命令が出た。その場は全て、ケフカに任せる、という事なのだろう。手間取っていた自分の不甲斐なさを思えば、仕方のない事だと理解は出来る。ただ、ドマの民には哀れな事をしてしまったと、罪悪感だけが残った。
 まだ報告こそ入っていないが、あのケフカの事だ、近日中にドマを落とすだろう。レオが、最も忌み嫌っていた方法を以て。それが予想出来ながら、何も出来ない己に歯痒さが募る。
 レオは、かつてガストラ皇帝の前に跪き、頭を垂れて誓った。皇帝へ、そして帝国への忠誠を。だが、その忠義が己を裏切り始めている事に、彼は気付き始めている。
 出来る限り、殺したくはない。敵とはいえ、民の命の重みに変わりはないのだ。そうは思っても、命じられるが故に剣を振るう。そして、ケフカがどれだけ残虐な行動を起こすかの予想がついても、命じられていないが故に止める事も出来ない。
 皇帝を信じ、敬う気持ちに変わりはなかった。それでも、あのケフカの行為を黙認していることだけは、どうしても疑念を振り払いきれない。
 恐らく、彼女もそうだったのではないかと思う。
 だから彼女は選んだ。皇帝への忠誠よりも、己の望む道を。
 レオには彼女の考えなどわからなかったが、なんとなく、そうではないかと思う。あるいは――レオ自身が、そう思いたかったのかもしれない。
「……判らないだろう、ケフカ」
 レオは呟き、空を見上げた。巨大な黒い城の背後に果てなく広がる夕焼けを、じっと見つめる。
 鉄色の城の向う、紅色に染まった雲。昨日も、こうして空を見上げた。
 そして、その更に前、このベクタで空を見た事があった。隣にいた、あの少女とともに。
 彼女はあの時、本当は何を思っていたのだろう?
 レオの疑問に応える者はない。
 彼女はもうここにはいない。共に戦う事も、共に空を見る事も、もうないだろう。間もなく、彼女の刑は執行される筈だ。
 レオは、彼女の選択した道を思う。レオがこの先、決して選ぶ事のない生き方。だが、心のどこかでは、その道を選ぶ事の出来た彼女を羨ましくも思った。
 ふと、思う。自分の感情を裏切って他者への忠義を貫き生きるレオと、心赴くままに自分を偽らずに死に行く彼女と、一体どちらが滑稽なのだろうかと。
 そこまで考えて、レオは静かに頭を振った。取り留めもなく広がる思考を振り払って、一度深く息を吐く。皇帝が自分を待っている、その事を思い出した。そして、それが自分の選択した道である事も。
 ただ、それでも最後に一度だけ、レオはあの少女の名を呼んだ。
「……セリス」
 名残惜しげに呟いた声は、赤い空に吸い込まれて、消える。何の余音も残さずに。



  


2005.06.01.up